ひとりごと的つぶやき

タヌキが逃げた話。

 

ここ数年、夢を見る回数が少ない気がする。若い頃と違って即睡・熟睡・爆睡できるようになり、ちょっとした物音に目覚めてその後眠れなくなるなんてことがめったになくなった。眠りが深くなって夢を見ることが少なくなったのか、それとも起きるまでに見た夢を忘れてしまっているのか、いや図太くなってきているだけなのかも(笑)

私が夢を見る時には、必ずわかりやすい理由が大抵ある。ほとんどの場合、現実にあった出来事が変形されて夢になって出てきたり、その時の心配事が夢になって表れることが多い。例えば、子供の頃、小学校のクラスお楽しみ会(この呼び方は全国区なのだろうか?グループごとに劇やら歌やらを発表してお菓子を食べたりする会だった)があった時、小道具用にお友達が家から持ってきたお皿を、私がうっかり割ってしまったことがあった。

その日は夜寝てから一回寝ぼけて起きてきて、母に「卵が割れた。」と言ってまた布団に戻っていったらしい。そんな感じで現実のリピートではないけれど、クヨクヨ気にしていることなどが夢に変化形で出てくるのが、私の夢のパターンだ。

そんな私が、久しぶりに夢を見た。夢の中で私たちはタヌキを飼っている。割とか細い、小さなタヌキだ。そのタヌキをいつものように散歩に連れて行く。田んぼの田舎道(子供の頃に犬の散歩で歩いたような日本の風景だ)を歩いていく。なんだかタヌキがもっと自由にしたそうな顔をしているので、そのまま散歩紐を手放した。そしたら、タヌキはフラフラっと自分で走り出しあっという間に逃げて行った。

慌てて追いかけたが、見つからない。すると上の娘が語気も荒く「動物はちゃんとヒモを持っていなかったら逃げるんだよっ!」と言い放ち、ちょっと私を見下したような、がっかりしたような顔をして去っていった。

私と下の娘で、一生懸命タヌキを探す。上の子が手伝わないことについてはまるで当たり前のように二人は感じていて、誰も文句を言わない。

それはまるで「となりのトトロ」でさつきがメイを探していた時の様に、田舎のあちこちをくまなく探す。でも、やっぱりタヌキはどこにもいない。散々探して、数時間も経って家に戻って行ったら、家の近くでやっとタヌキが見つかった…そこで目が覚めた。

夢から目が覚めると、(あれ―何であんな夢見たんだろう?)と夢分析が始まる。まず、上の子がとても怒っていたことがなんか気になる。現実には、そんなことを言い放ってぷいっと行ってしまうような子ではないのだ。でも、いや、あれは本当の彼女ではないんだから。そんなに気にすることないか。

あ、そういえば昨日、主人が帰宅したとき、ペットシッターとして娘が預かっていたヨーキーちゃんが玄関ドアから目の前の道に飛び出し、危ない!って思ったんだった。そっかー、あの出来事が「変形」してタヌキになったんだな。

家族に「タヌキに逃げられた夢の話」をして、笑いを取ろうとしたが、いまいちウケなかった(笑)きっと唐突すぎたんだろうね。「Sにね、『動物はちゃんとヒモを持っていなかったら逃げるんだよっ!』ってね、すごい怒られたんだよ」って一応上の娘に振ってみた。ちょっと夢の中の娘の感じに違和感があったから、何を確かめたいのか自分でもわからないけど振ってみた感じだ。でも娘は、「ふーん」って感じで特に反応もない。まあ、現実の自分とは違うリアクションだし、そんなに食いつくネタじゃなかったか…

数日後、家族で揃って夕飯を食べながら話をしていたら、上の娘が唐突に言った。
「実は、家を出ようと思ってるんだ。」
それは、「宣言」って感じでもなく、ごくカジュアルな、静かな話し方だった。
「え、そうなんだ。お金大丈夫なの?やっていけるの?インターネットとかいろいろお金かかるんだよ」と私もカジュアルにたずねた。
娘は「うん、大丈夫。B(友人)が8月から一緒に住まないかと言ってるの。」
主人は、珍しく何も言わない。(私の出方を見る意味もあったし、多分ちょっとショックもあったんだろう)。

わたしは、「いいんじゃない?とうとう独立か。じゃ空き部屋でAirBnBやっちゃうかな!」とふざける。いや半分本気だけどねw。

その時は、あくまで自然に明るく話をした。それに、学費はいまだに親がかりとはいえ、それ以外の費用は一切親に出させていない娘が、いよいよ自力で親元を出ようというのだから、「いや、さすが」とうれしい気持ちが強かった。

娘がその話をした時の私の気持ちは、あ、やっぱり来るべきものが来たなという「納得感」でいっぱいだった。娘は二十歳になり、親といてあれこれ干渉されるのはそろそろ煙たくなってくる頃だし、ここで居心地がいいなんて思う子の方が心配だ。

比較的親子仲はいい方だと思うけど、最近はなんとなくだけれど、お互いの話に上の空になっている感じがあった。それがなぜなのかと考えると、娘は自分の考え方を持ち、私とは全く違う個性になり、お互いの興味の対象がかなりずれてきて、お互いの話にピンと来なくなっていることが多い気がする。それを寂しいと思う時ももちろんあるけど、何となく自然の摂理として受け止められる。娘は成長していて、自然の摂理として親元から離れていく。

そこでハッと気づいた。あれは、タヌキの話じゃなかったのか。
あの夢は、娘の気持ちが私たちから離れて行っていることを私の無意識が悲しんでいた夢だったんだな。

娘の自然な成長がうれしく誇らしいと心から思う。でも、ふと仕事からの帰り道、彼女が本当に家から出ていく日のことを想像したら、もう涙が浮かんできた。

これからも彼女は私の娘であることには何の変りもない。でも、彼女の毎日をさりげなく見守ることはもうできなくなるんだね。私たちの関係は次の段階に進むんだね。

まだ2歳だった娘を、その頃住んでいた日本のある町からそう遠くない大きな花火大会に連れて行ったことがあった。娘は、初めて見る本格的な花火に大喜びしてしまい、体全身を使って花火の様に飛び散る動きを繰り返した。手足をぱあっと広げて「バーン!」って言いながら…小さな娘は、いつも私に生きることの純粋な喜びを教えてくれた。私の長女のイメージはその時のままだ。大きくなって小難しい理屈を早口でまくし立ててる姿を眺めていても、やっぱり私の中にはあの時の娘がずっといる。

でも、この世代の子供の気持ちもよくわかるんだ。私にだって二十歳の頃はあった。それは、私にとってもちょうど親元から離れた年だった。自分の実家から出たことがなかった私が、急に自力でアメリカに旅立ったのだった。

新幹線のホームまで見送りをされた時、私はこの世も終わりかというくらいボロボロに泣いた。自分で選んだ道とはいえ、両親の元から離れることが心細くて寂しかった。残された両親の気持ちを考えるとさらに辛くなって涙が止まらなかった。

1時間くらい新幹線の中で一人で泣きに泣き続け、涙が枯れた私は、そこから始まる自分の人生のことを考え出したら次は笑いが止まらなくなった。うれしくてうれしくて、どうしても顔が緩んでしまう。ジキルとハイドさながらの変わりようw

本当の自由が始まるのだと思うと、そして当時憧れていたアメリカにようやく行けるのだと思うと嬉しすぎて爆発しそうだった。両方とも、まぎれもないその時の本当の自分の感情だった。

だから、私にも、親元を離れて自立するうれしさは本当によくわかる。

そして、親元を離れて一人になったからこそ、家族のありがたみを余計実感したこともある。だから、そろそろ私も、しっかり子離れしよう。

If you love someone, set them free.
If they come back they’re yours; if they don’t they never were.

Richard Bach

誰かを愛しているなら、自由に行かせてあげなさい
もし戻ってきたらあなたのものだし
戻ってこないなら元々あなたのものではないのだから

(リチャード・パック)

彼女には彼女の人生がある。彼女は元々私の「もの」ではない。
私は彼女を「一時あずかった」だけだ。

生まれてきてくれてありがとう。
そして、形は変わってもこれからも見守っていくよ。
幸せになってほしい。
私たちが自分たちの幸せを見つけたようにね。

 

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写真は職場のエントランス付近で見かけたお花。ようやくモントリオールにも春が来た!全力で楽しむ季節が到来する。

 

 

 

 

 

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